はがゆい日記譚

これは__自身を戒めるための愚痴と、現在進行形な黒歴史を連ねた日記譚である。

性欲よ去れ

僕はエロマンガに人肌の可能性を求めてきた。
もちろん常日頃からだ。
それは身に溢る性衝動を解くための方法論であったし、なによりデフォルメされた女性たちが乱れる様を見ることに快感を覚えていた。
この事実は否定できない。
だがどうだろう。
この現実感の伴わぬ射精の感覚は。
女性を妊娠させるためにあるはずの行為を無機質なシリコンに吐き出して何になる?
気づいてしまったのだ。
エロマンガなど、所詮は絵を媒介した創造者による洗脳教育だ。
周知のようにリアルには直ぐにヤらせてくれる美少女はいない。
イケメン資本が市場を独占しているから、ルックスに無理がある僕らはどう頑張ったって手が届かない。
奮闘したところで、市場から宛がわれるのは自分と同程度かそれより下の様式美を備えた肉布団。
このように彼らは現実感を殺した女性像を描き、童貞に幻想を植え付けることで対比構造を作り出し、リアルな女性から手を引くように促す。
現実にいる女はクソ! エロマンガの方がいい! と、いわば半強制的に回避行動を選ばせる寸法である。
だから妄想の中で、僕はリアリティのある肉の触感を望みながら、いつだって性格のみがエロマンガチックな女性を孕ませている。
見て見ろ、出来上がるのは性に飢えた女性恐怖症患者だ。
奴らは僕に幻想を見せるべくも自分たちはエロを食い物にしながら、リアルの女を手に入れる一大洗脳計画なのだ。
これはもはや生命の冒涜に他ならない。
黒の線で描写されたエロティシズムが、固定観念の襞となってボクの陰茎を弄ぶ。
あの不愉快な快楽原則へと僕の精神を走らせる。
右手でピストンさせることで発生するあの刺激も、秘部が人工潤滑湯に浸かる零冽な感触も、僕を非生物たらしめるためにあったのだ。
今となっては、すべてが苦痛である。
これを突発的な賢者タイムと称するのは、些か浅慮が過ぎるというもの。さぞ男を知らない境遇に置かれているのであろう。
大体、この生殖の波動が非童貞に理解できるわけがないのだ。
女性経験のある連中というのは、肉壺の形を自らの下半身に覚えさせることに成功した者たちのことを指すわけで、僕のような経験を持たぬ軟弱な根暗アタマとは、初めから二項対立の関係性に置かれているのだから。
だから僕はもう、エロマンガに人肌を求めることはやめにした。



なんて妄想が臨界点に達している駄文を、深夜も一時を回ってしまった時間帯に書いている始末のなさ。


ちなみに本日、8時より仕事だ。

………やはり死ぬべきだ。