はがゆい日記譚

これは__自身を戒めるための愚痴と、現在進行形な黒歴史を連ねた日記譚である。

獣の病

ADHDは一発達障害者における個性ではない。
これは呪いであり、いつ果てることを知らぬ歴史的生存本能そのものである。
だからこそ我々は現代社会において、擬人生を演じるヒトモドキであることを自覚せねばならない。
社会とは健常者が築き上げた一本杉の摩天楼である。
その内部には人間に現実と幻覚を植え付ける霊的自動機械たる花粉が蔓延している。
夢と現実の去来に揺れながら、そこで人は人として人生という長い妥協の中を模索し、葛藤して死んでいく。
これはすべての人間に適用されるため、一つの例外も在り得ない。
だが発達障害者は人間ではない。
一般教養で知能を、良識で精神をめかし込んでも、障害という化けの皮から漂う獣臭は決して飽くことはない。
自らがいくら人のフリをし続けようとも、社会生活にふと訪れる普通との乖離が、否が応にも我々を獣たらしめる。
そして人々が持つ群居的嗅覚の前では、障害からくる自意識と常識とのズレは一撃で見透かされ、やがて排撃と名の付く結論で締めくくられる。
発達障害は人間によく似た容姿を持つがゆえに、自らも人並みの人生を送れると思いがちである。
しかしヒトモドキには、遺伝から科せられた悲劇を演じよ、との烙印がその体を流れる血に刻まれている。
既に知っての通りだが、社会は発達障害を置き去りにしたのだ。
だからこそ、今でこそ自覚が必要なのである。
もしも君が発達障害であるならば、自らの擬人生は完成された悲劇というレールを走っている特急列車であると自覚せよ。
終に自覚は諦観へと変わり、発達障害者は社会を広い視野から再認識する存在へと至るのである。